「リウマチ手記」 初瀬川由紀 36歳 1995年(27歳)4月に、右の指が痛くなり、腱鞘炎かなと思って病院に行きました。診察してもらうと、「貴方は若いから、大丈夫。別に悪い所はありません。」と言って、これといった検査もしてくれませんでした。 その日は帰りましたが、気になるので、2週間後に病院に行き、血液の検査をお願いした結果、やはりリウマチだと言われました。その病院の名医と言われる先生に診察を受け、その時から薬漬けとなりました。「ステロイドを1日3回飲まないと診てあげない。」と言われ、先生の言われるまま、薬を飲み続けました。それで薬は飲み続けましたが、急激に、激痛に襲われて熱が出、薬を飲まないと動けなくなる身体に、なっていってしまったのです。 それから週に一度、ステロイドのリメタゾンの注射をし、2週間に一回、足に別のステロイドの注射をしてもらいました。その後急激に、手の指が曲がり、グーに近い状態になりました。 その頃一番気になるのは、やはり子供たちのことです。小学4年生、3年生、保育園年中と、3人の食事の用意は大変でした。両膝の痛みで台所に立っているのが辛く、泣きながら料理を作っていました。余りにも辛いので、自分の親にご飯を頼みました。夕食は、7時になると子供たちを車で連れて行き、主人のは持って帰っていました。それも毎日は辛くなり、母に家まで来てもらうことになりました。上の子が中学生になってからは、朝は主人の母に来てもらい、弁当も作ってもらいました。夕方は、私の母が家まで来て、手伝ってくれました。 私の身体はステロイド漬けとなり、顔はパンパンに腫れ、心臓も動悸がしたので、怖くなり、自分でステロイドを少しずつ止めていきました。その時はうまくステロイドを止められたんだけど、1年半後リバウンドで、53kgあった体重が38kgにまで落ち、自分では動けなくなり入院しました。 3ヶ月間、ベッドで苦しみました。結局、ステロイドを飲む事で、退院する事になりました。1年くらいは、痛みに耐えながら自分のことはどうにか出来ていたのですが、まただんだんと薬も効かなくなり、心の中で、「これからどうして生きていこうかなあ。」と悩んでいる時に、松本先生のことを知りました。ある日母親の友達からの話で、大阪府高槻市に、漢方薬を用いるリウマチに良い病院があると言われたのが、松本医院だったのです。 病気になってから7年、2003年7月13日、初めて松本医院に行きました。初日は院長先生が、リウマチの原因やリウマチが松本先生の治療で治る話しや、ステロイドの薬の怖さなどを話されましたが、私はステロイドを使いすぎてきたので、怒られてばかりでした。ステロイドの怖さを知りつつ、飲まないと動けなかったので、飲み続けていた量が大量であった為に、先生は「治してあげる。」とは、私に対しては言われませんでした。「私の治療を受けるには、ステロイドのリバウンドが、想像を絶するものになるから、家族の理解と協力が絶対に必要だから、家族の皆を呼んできなさい。」と言われました。 2回目は、8月4日で、私の両親、主人と主人の両親と、皆で松本医院に行きました。その時先生は、「貴女は、ステロイドの薬と注射をかなりの回数しているから、副腎の働きがなくなっているので、一度に止めると、ショックのために死ぬ事もあり、責任が持てない。徐々に減らして行きます。」と言われ、大変ショックでした。しかし「病気と闘うのは、本人の気持ち次第だ。」とも言われました。私は、この若さで、このまま一生寝たきりになるのは嫌だし、頑張りたいという気持ちで一杯でした。先生は、一人一人に固い握手をして「頑張ろう。」と言って下さり、その日は、松本医院を後にしたのでした。 3回目は、8月11日で、「どうなるか分からないけど、頑張ろう。」と、やっと漢方薬を処方してくださいました。それから私は、今まで飲んでいた薬を止めたら自分で何も出来なくなるので、実家に帰ることにしました。 「ステロイドを一度に止めると、命の保証が出来ない。」と言われていたので、1個を1/2、1/4、1/8、1/10、1/15と減らし、3ヶ月かけて止めていきました。9月25日から実家で母に助けてもらい、朝はビワ灸とお灸、昼は薬湯に入れてもらい、夕方はまたお灸をしてもらいと、一日中がかりで、私の面倒をみてもらいました。 完全にステロイドや痛み止めの等の薬を止められたのは、11月の終わりでした。それからは、動けない私、痛い私。少しでも触られたら痛くて、つらいつらい日々でした。 7月からは、鍼も週3回してもらいましたが、ずっと つらくて つらくて つらくて つらくて・・・・・。家の中は車椅子で移動し、母には完全看護してもらって、毎日「きっと痛みが無くなるぞー!」と、心で思っていました。でも、つらいと泣きながら、痛いと泣きながら、毎日熱い熱いお灸も頑張りました。これも、私の周りにいる人達が皆協力してくれ、母にみてもらったお陰で、毎日のお灸も鍼も、頑張れたのです。母がいてくれたからこそ、頑張る事が出来ました。 2003年2月頃から、少しずつ車椅子から立ってベッドまで歩いたり、膝は少し痛かったけど、自分なりに毎日ベッドで出来る体操をしたりして、体を慣らしていきました。3月には、一番下の子の小学校の卒業式にも、車椅子だけど行けたし、4月の中学校の入学式も行く事が出来ました。だんだんと、少しずつ、自分なりに動けるようになってきました。 5月頃から、土曜・日曜は自宅に帰り、トイレ掃除・風呂掃除等、出来ないなりに、自分で汗をかきながら、ふらつきながらも出来るようになりました。でもそうして動いた後は、痛みで、月曜日から3日間くらいは実家で寝て休養し、体力をつけて、また土・日には家に戻る、というのを何回も繰り返し、だんだんと体を慣らしていきました。 7月末、子供達の夏休みをきっかけに自宅に戻り、今は自分のペースで、掃除・洗濯をし、体も、以前より大分楽になりました。買い物も、友人の車に乗せてもらい、歩いて出来るようになりました。 今、痛みもほとんど無く、段々と自分で何でも出来るようになり嬉しいです。しかしまだ、疲れると、膝に出たり肩に出たり、熱も微熱37.2度はよく出ます。疲れが酷くなると37.9度出る事もありますが、よく寝るとまた元に戻ります。夕食はまだ自分で作っていませんが、朝の4人分のおにぎりは作っています。もう少し体力をつけて、10月頃には、夕食も頑張ろうと思っています。 今も、毎日一人でお灸をし、週3回鍼もしてもらっていますが、お灸は、1日も欠かしたことはありません。出来ない所は、主人にしてもらっています。両膝の痛みは、嘘のように無くなり、手首にも指先にも力が入るようになって、嬉しい限りです。 協力してくれた皆に、感謝の気持ちでいっぱいです。 松本医院の院長先生に出会って、本当に良かったです。有難うございます。 2003年8月26日 |